アシカ小屋

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公立中学校の生徒会って、中間管理職的だったよねっていう話。

少なくとも僕が通っていた中学校はそんな感じだったかと。

 

先週発売のAERA(1月28日号)に掲載された記事を読んで、自分にも思い当たるふしがあるなとドキリとしました。

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「『指導死』親の会」世話人 大貫隆志さん 「中間管理職」にされた子 自責の念から自死」

私の次男・陵平は中学2年生だった2000年9月の夜、自宅マンションから飛び降りました。前日、学校でお菓子を食べ、ライターを持っていたため、放課後に他の8人の生徒と一緒に、12人の先生から1時間半、指導を受けました。先生たちからは他の食べた生徒の名前を挙げるよう迫られ、今後、学級や学年にどう貢献するかを、反省文に書くように指示されました。

(中略)

 先生が子どもを中間管理職的に使う例は数多く起きています。陵平も学級委員、生徒会役員、放送部の部長を務め、ニックネームも「リーダー」でした。そんな自分が決まりを破り自責の念を募らせていたところに、担任の先生から母親に電話があり、翌週にみんなの前で「決意表明」をさせられると知りました。その後の40分で反省文と遺書を書き、飛び降りました。陵平の死後、担任は「片腕を失ったようです」と言いました。

(AERA 2013年1月28日号)

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僕は公立中学校で、陸上部の副キャプテンと生徒会執行部の書記を兼務していた時期がありました。偶然にも、陸上部の顧問と生徒会担当の教員が同じ人でした。

 

中学2年の冬、クラスメイトが掃除時間中に掃除をさぼって遊んでいたところをその教員が見つけた。彼はその生徒への注意もそこそこに、そのそばで黙々と掃除をしていた僕を呼びつけ、皆の前で「お前は生徒会役員なんだから、ちゃんと皆に掃除をするよう注意しないといけないんじゃないか」と怒鳴った。

僕は箒片手にその場で頭を下げつつも、どうして自分だけ怒られなければならないのだ、しかも自分はちゃんとやっていたのにとはらわた煮えくり返っていたわけですが、小心者の僕は彼に対して反抗することができませんでした。

部活の顧問でもあり、新人戦県大会に出場できるまで育ててもらった彼に刃向かうなど、到底できなかったのです。

彼はそのことを見透かしていたのかもしれません。こいつなら自分の言うことを聞いてくれるだろう、そう思っていたのかもしれません。

 

しかし僕は生徒会役員である一方で、ごく普通の中学生でもあったのです。ただでさえ、一般の生徒からは「生徒会なんて教師の犬だ」と思われるふしが当時ありました。そのうえ、先生に言われたとおり「模範生徒」として一般の生徒の振る舞いを注意するようになれば、クラスから浮いた存在になるのは目に見えています。というか、僕やその他生徒会役員の一員について陰でいろいろ言われていたことくらい、気づいていました。

 

そんな立場に立たされる生徒会役員の生徒たちを、先生たちは守ってくれなかった。

クラスメイトをはじめとする生徒たちからは「教師の手先」として扱われ、教員たちからは「生徒指導の末端機関」のような存在であったように、今は思っています。

 

もちろん、「生徒会役員に立候補するには、そういう立場に立たされる覚悟は必要だ」というのも一理あるかもしれません。

ただ、そうなると、生徒会の存在意義ってなんなんでしょうかね。

 

って、中学生の時もやもやしながら考えていたなあと、AERAの記事を読みながら懐かしく思いましたというお話でした。

懐かしい思い出です。良い思い出とは到底思えませんが。